2022年6月27日月曜日

コルチゾール過剰

手のひらが斑に赤い症状の原因がわかりました。コルチゾール異常です。長期の過剰分泌により表皮が薄くなっているんです。
昔ストレスガムを噛んだらカチカチの真っ赤でした。

2022年6月25日土曜日

他者にも優しくありたい

他人の作品を下らないと思っていると、問題点ばかりが目に付くようになる。そういう習性になると自分に対しても悪評をつけるようになる。
そうはいっても周りを賛嘆しまくって自分をもそこに組み込んでやがて善人を気取る、まあいってみれば偽善者と化してしまうと、自分が曲げられなくなる。
自分の間違いに気づけない確信犯へと突き進んでしまいそうだ。
情けは他人の為ならずと昔日本人は言ったものだがひょっとするとそれは必ずその通りで、弱い風が吹き込んできて情けをかけたくなった時、ちょっとだけ心が豊かになっているんじゃないだろうか。思いやる気持ちは相手の目線まで降りて行こうという心の表れではないか。
自分が勝つ。負けた人間はどう思うか。勝利による恩恵と負けた人間が味わう気持ちとを両方得られる人が最終的には生きやすいんじゃないか。むしろ心に秘めた思いやりというもののほうが難しい。

BBS Blog が支持されていたわけ

 私はWeb2.0のときBlogに凝っていました。とはいえ、アメーバブログをやっていたので何かを極めたというよりは知らず知らずのうちにブームに乗っていたんだろうと思います。

唐突ですが程よい広告のある状態が熱狂の源泉というか、自分をさらけ出せるかどうかなんだと思います。あの頃はすごかった。

偽善者は話題に値する存在だろうか

全くおんなじ人間がふたりいたとして、片方は自己評価高くて自分を善人と認識していてもう片方は自分を下らないと評価しているとしよう。

生活態度は全く同じとするとどうとらえたらいいだろう。

たいてい偽善者を攻撃している人が、自己肯定感といった世間に出始めた言葉で”偽善者じゃないほうを”しかり飛ばすだろう。顔の見えない状態で相手するときにはさ。

偽善者なんて言う言葉はあんまり対面では聞かない。かなり決定的な陰口で使われる言葉だと思う。

要するに我々は偽善者もスルーしているんだけれどその対応でよいと思う。

偽善者が悪いことをしたらそれは悪のカテゴリに入るんだと思う。この言葉の意味が分かっていないまま”おとなしい人間”バッシングをしている穏便ならぬ人々に違和感を抱いているんだけれど、偽善とは善から外れたらやっぱりそれは偽善、つまり普通のすぐ上は偽善で、声聞・縁覚のように成仏から遠い人々なんだろうか。そこは気になる。調べておかなきゃ。

2022年6月18日土曜日

Git AWS の登場

 ホームページCGI制作はインタプリタ言語により作成されるような世界に生まれ変わった。

かつてはPHPにて作成され配置を気にしながらファイルをひとつづつアップロードして完成させていた。

そんな時代も終わり、今ではGitをつかって作業するから多少の変更なら作成者以外でもWeb記事をもとにセキュリティ修正パッチを当てられたり、というように変わってきているんじゃないだろうか。

私はコンテンツファイルの配置とパッチ修正にストレスを感じていてこれが原因で自分でDELPHIを使った独自コンテンツ開発に着手した。活路があると思っていたけれどうまく管理すればCGIファイルの数がどうであるとか関係ないからむしろ今はオープンな設計が自己流にアレンジできて人気だろうと思う。コンパイル言語ではブラックボックスになりやすい。

ただ、状況は変わってきていてスマホが普及してアプリからアクセスするようになったのでコンパイルしてからリリースするようになっている。DELPHIでやる意味もあるかなと思い始めている。