数年、というか長い年月悩んできましたが、DelphiでWebアプリ作るなら付属のWebbrokerを使うよりは有償ではありますがJavaScriptのSPAを生成してくれるTMS Web Coreを使ったらいいと思いました。
Linuxサーバーであるsurege.shにもアップロード動作確認済みです。
すべて解決かなと思いました。
数年、というか長い年月悩んできましたが、DelphiでWebアプリ作るなら付属のWebbrokerを使うよりは有償ではありますがJavaScriptのSPAを生成してくれるTMS Web Coreを使ったらいいと思いました。
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すべて解決かなと思いました。
自己陶冶におけるポイント
1. 聖者より賢王を目指せ。誰かではなく架空の人物を目標とせよ。
リーダーよりも世間は賢い人物を受け入れようとしている。時代の波に乗れ。そして実在の人物には落とし穴があるものだ。自らが作り出す架空の存在こそ理想と心得よ。
2. 目標ではなく振る舞いに集中せよ。短い期間で見よ。
即断そして速反映が可能なその場での振る舞いについて思弁を巡らせよ。近い将来に決断したのでは記憶を頼りに分析することになる。ぼんやりしすぎだ。
つまり、なるべく長い時間、”賢い人物というのはこの場面でどう行動しているか”考えていろ、ということだ。
内向型の私が思うのですが自分は考えることが優先されており、生活はプライバシーや自由が無ければ生きられない状態となっております。精神や信教の自由もだいじにしており心に思うことは誰にも邪魔されないと思っておりました。
そして自分の興味関心としましては知能や学問に向かっているように思います。その割に英語が出来ないだとか現実が全然伴っていないので遅蒔きながら一大事と捉え変革しようと思うのです。
病気の原因を作らないようにほどほどにしたいのですが、今まで私は知恵のある人間はこういうことを思いつくものだとか、新たに出来ることがいくつもあるのでは無いかと空想していました。ですが歴史上の人物を見ても私の基準でそれほど賢いものでも無い。ならばこの基準変えてしまわないかと思うのです。
人間の知性は行動に最もよく表れるのである。
こういう立場をとることで今自分は何を始めなければいけないのか。提出物の結果では無く内容に注力でき安心して何事にも取り組めるのでは無いか。
天才はどう考えるかでは無く次どんな行動に移すのか、を追求していく。
それは経済でも、この製造機はどんなパフォーマンスを示すのか。新方式かどうかでは無く性能試験にパスしたかを基準にする。
行動様式に点数をつけて知能を測るようにすれば日本人が重要視する経済とも親和性が高い。一日にどれくらいの仕事をするか。性能と品質で勝負するのです。どのように働くかが問題なのです。どれだけ動くのか、すなわち能力です。
昔、高校時代に禅天魔というのがどういう風に伝わったのか、禅宗の一族で受け継がれる宿業は頭がよいことだ、なんて聞いたことがありました。それ聞いてどこが欠点で何に苦しむんだろうと理解が出来ませんでしたが、無理矢理こじつけですが禅の家系に生まれてくる人はアスペルガーの障害を持っているんじゃないかと、無理矢理にも思い至りました。
ASDの人は学業で平均以上の成績を取る、けれども空気を読むのが苦手です、という話をYoutubeで聞きますね。ASDは知能指数が高いわけじゃなく初等範囲の教育には向いているのでしょう。その反面あまり独創的なことが得意ではない。
いや、僕の反省も込めてなんですけど、統合失調症の気質があるとかいわれる人にもありがちではありませんか。つまり高知能ではないのだけれども苦労せずに平均的な成績に達するため自分を高く評価してしまう修養の低い人が少なからずいて彼らが必死に学業ができない人から平均的な人までを低脳だとなじって功績を残せないまま余生に入るというケースが宿業だなと思うんです。それは当然でむしろ創造的な部分が苦手な人たちだから逆に露見したとき馬鹿にされるというか、人生経験積んだ人の中には見破ってしまうのもかなりいるかなと思います。
宿業でしたね。
人間という存在は無駄であろうか。
私が陰性症状というか鬱に入っていたときとても腹を立てた。それってもしかすると外からの刺激がない分を補って脳の機能を保護する目的で神経回路を興奮させていたのではないかな。
もし僕が善良なだけの人物だったら今頃とっくに廃人になっていたかもしれない。
生物の働きというのは何か意味があると捉えるグループもある。
私は数字で見たことはありませんがエッセンシャルワーカーの賃金というのは低いといいますか平均と比べてそう高くないということはわかります。
なぜそうなっているかというとそれは従事者の少なさだと思います。労働人口も少なければ競合する会社も少ない。企業努力が前例の踏襲に注がれ利益率が上がらず賃金も必然的に少ない。関連する仕事場がすくないから労働者もつぶしが利かず、会社の側も離職率が低いのをよいことに安月給で働かせ続けている。
こういった状況は過去の計画や思いやりから来ているはずだ。公共性の高さから企業保護を掲げて行き過ぎた競争が起こらないように制度設計したんじゃなかろうか。
空想ですけどね。昔は儲かったんでしょうけどね。
日本が円安になると輸入品にお金がかかるという。けれども本当に問題なのは日本が必要な物資を海外勢に買い負けるということ。もっというと国産品を買いあさられて食料受給率が下がってしまうことになれば外国の余ったやすい、ひょっとしたらお金出す価値もない食料を輸入してどんどん国産品が輸出されるということになったらしんどい。しかも輸出は関税で止めることができない。輸入も最近は関税撤廃だけど。
バナナのたたき売りがあるが、デフレの時こそ企業利益が上がるのではないか。
バナナは昔、高級品だった。パナマ病というバナナの感染症が蔓延したためにかつての品種は商業栽培されなくなってしまった。
その頃から品種の異なる安いバナナが海外から入ってくるようになり、それを露店で実演販売して多額の利益を得た、という話がある。
購買者の心理を考えたときミクロ経済学ではデフレに最高益を達成する会社が多くなるのではないか。
Delphi でウェブコンポーネントを作ることで有名なWebStencilの機能が呼び出せるコンポーネントを搭載したという話だけは聞く。
なんかよくわかりにくいから、Webbrokerにもフレームのような、Delphi専用のコンポーネント群を張り付け再利用できる仕組みをたった一つ取り入れるだけでよいのではないかと思ってしまう。
VCLやFMXにはフレームがある。
Delphiにはスタイル変更の機能が付いていてアプリもVclはプロジェクトのオプションから表示のところで簡単にスタイルを一括変更できるらしい。
FMXもTStyleBookというのがあってどうもGetItからスタイルファイルを取得して設定すればこれも簡単に変更可能だという。
しかもデザイナもついているのでかなり大幅な見た目の変更があるというから理屈でいうとVclオブジェクトのスタイルがダサいと言っていた私の意見は否定される。
DelphiでのWebサーバーアプリ開発にIntraWebを使えば、昔ならjQuery Mobileの機能を取り込んでレイアウトも簡単に調節できたらしいけれど、今は残念ながらjQuery Mobileが開発中止で公式からは非推奨にもなっているそうでなかなか難しい。
私の想像でいうとおそらくIntraWebも発展していて代替機能を有しているとは思うけれど、React Nativeみたいにアプリ開発に適しているかといわれたら、そこまで調べられていませんと答えますね。
以前はWeb技術は興味がなかったんですけど、Mobile Orderの登場からこういったアプリが簡単に作成されるようになれば実社会を変える可能性があるぞと思います。
Delphiでもデザインを考慮しつつ簡単に作成できれば良いのですが私の技術はまだまだといったところです。
Delphiの特徴は
・マウスクリックに対応したビジュアル開発
・データベースへのアクセスが柔軟
・コンパイル速度が早い
でもこれってReactをやってみるとネックにはならない。
FMXはどうなるんだろうね。
せめてコンポーネント開発で革新的なことが起きればいいのかもしれないけれど、それにより恩恵を受ける人が少ない。やっぱり何か起きそうな感じはしないですね。
Delphiにはテスト環境というか関数のソフトウェアテストが実行できる機能が付いています。
これをフル活用してコード書くのは外に発注したら、社会の仕組みとしてすごいんじゃないか。
政府が言っている組み込みエンジニアとか小さなプラグインのような塊は将来問題でなくなる気も致します。
欧米の人はインタビューを受けたとき器の大きさを示すようにふるまうというのが慣例のように感じた。わかんないけれど、日本は相手に対する行儀のよさを醸し出すことに注力しがちで、どちらもありだけれど仏教的な観点でいえば海外の懐の深さを表して接することに慣れているほうが人生うまくいく気がする。
つんどく状態だったゼロから作るの四巻目を読み直している。
Q学習まではしっかりできた。
のこりのDeZeroを使うところはどうしようか。
おもしろい、おもしろいぞ。ちょっとエラー箇所探すのに手間取ったけど達成感ある。
意志薄弱で八方美人の私においては何になりたいというものもなく人生を過ごしていた。
ただ何となく大学へ行きたいなとか。そんな風にだけ思っていた。
割と最近になって若者はそういうものだと判明してきているが、それならば専門教育をいくらやっても彼らは旧来の大学システムに頭から突っ込んでいくだけだ。
ここでいう専門教育というのは学士レベルの教育のことではない。
専門課程というのは何らかの挫折の先にある。東大生がつまらない研究をだらだらと積み重ねるイメージがあるが、それも挫折を知らないからだろうと思う。
ほかに取るべき選択肢がない状態にならなければ人は楽なほうへ流れようとする。若者に限ってはそれは当てはまらないけれども、これができれば報酬がたくさんという状況で情熱が育まれるというのだろうか。
人生盛りを過ぎてわかることだが何かが得意でなる専門家も一定数いるが国家レベルの規模でいうと専門家というのは最初ほかに一芸を持たない人物の集合である。だから人を見極めて教えを乞うわけであり目移りせずに没頭できるのである。
私も今、学会活動は自分にできて何か心地いい時間になるよう活動を探している。
そうでもなければ誰もついてこない。己は引っ張っていくほどの人物でもない。
日本人が足りていない、仕事で活躍する能力というのはネゴシエーションのほうだと思います。コミュニケーションというのはなんだか相手との距離が近い感じがして、旧来の日本は明治時代など家族でもよそよそしい厳めしい人間関係だったんじゃないかな、なんか変化しすぎだなと思う。
話を戻すとネゴシエーションとコミュニケーションというのは重なる部分があって、仲間意識を伸ばした先にも人間関係の円満解決があると思うのだが、それよりはまっすぐにやり取りのシミュレーションをじっくり時間をかけてやるほうが達成できる人が多くなりいい結果が出るはずです。
ネゴシエーションに時間をかけるというのは傍からすれば幼稚に見えるかもしれませんが日本式の組織を大切にして和と礼節を保つにはとても必要なことだと思えたので書き留めておきます。
礼儀や礼節というのは適当な距離を作ることではないでしょうか。それによって相手も自分も心地よい。まあ捉えようによっては非効率なうえに三方一両損かもしれませんが、非効率な人間関係の上に効率的な人員配置は成り立つ。距離感が合って人の少ない職場のほうが労働生産性は高いのですからいいじゃありませんか。
2chまとめを見ていると、結構ふざけた感じの若者が生き残っているのは、自分が発言したら相手はどう返してくるだろうという一連のやり取りを彼らなりに時間をとって頭の中で繰り返している印象を受けます。自分の人生経験に無理やりにでも当てはめてネゴシエーションを図るのは良いメソッドですね。
私の考えていたHTML技術は古臭いものでした。やはり開発の中心はEmbarcadero社の技術でいえばRadServerを使ってそのうえでReactにするなど、そういう話でしょう。
通信ということを考慮して結論を出すならjsonは大いなる進歩だったと思います。
つまりWebbrokerはもう古いのかなあ。htmxを活用して復活できないものでしょうか。
私から見るとJavaScriptとの違いはhtml要素を渡すかどうかということに力点があるように感じます。
別の角度から考察すればReactのコンポーネントを作成するよりもhtmxで拡張したほうが簡単ということが言えるかもしれません。もしこれで開発力に差がついてしまうなら私はDELPHIに肩入れしすぎなんだと思います。
確かにDelphiコンポーネントやそれに似たWeb技術であるReactに興味があるのならそのコンポーネントの一つでも作ってみたらいいんだと思うのですが、現実には至っておりません。特殊なコンポーネントは作るしかなく、調べたうえで問題なく作るのですが、これhtmxで作成できるんじゃないかと思うとどちらが正解かわからなくなります。
Delphiコンポーネント作ってないなと思いますが、もし次Delphi12 CEが出るとしたら、Windows APIも完全実装されるわけですし、コンポーネントの世界もやってみようかな、面倒だな参考資料集めるかな、などなど。
日本が昔エレクトロニクスで経済成長した時代には職場では和を以て貴しとなすとされていた。そんな時代にも成果主義のスタンドプレーを認めようという立場があったが少数派だった。今ではグローバルスタンダードといわれ競争力のある人材が職場では求められているが、アメリカではかつての日本のような選考が広がりつつある。ほんのこの前までは超学歴社会だと言っていたのは何だったのだろう。私が感じるのは日本にせよ米国にせよ産業を捕まえた国の経営者は汗をかきたくないということだろう。特にトラブルによる冷や汗を嫌がる。
お金に余裕があるから優秀なスタッフのいる会社に外注してみるという選択肢があるのだそうで。
結局日本もアメリカも求人倍率の高い一流企業では人柄の良い人材をなるべく安く、学歴不問で採用したがるということではないだろうか。言い訳を塗りたくって。
amazon primeが常態化してサブスクリプションに移行したかのような印象を持っていたamazon musicでしたが、いじっているとちゃんと購入もできる仕組みを見つけました。
訂正したいんだけれどウェブのどこで発進したかが思い出せない。
ひょっとしたら文句を言うのはよくないと思って万が一を考え投稿は見合わせたのかもしれない。それなら自分偉い、ですね。
今また英語学習熱が高まりつつあって、1対1対応の英単語長を作成してみたい。
その単語ネイティブはこういう意味で使っていますよとか、こういう表現は大体このほかに解釈はありませんとかいったような、一つの英語表現に対しずばっと一つの日本語表現で表すという単語集です。できるだろうか。
掲示板を何回も作り直すを繰り返していますが、今回やって思ったことは、実際には広告が表示される場所が足りないということです。
スレッドの表に切り替えテーブルをつけて表示させる余力を持たせたらよかったのに一般ユーザーと共有の投稿画面に資力を投入していることが問題だと思います。
失敗だなあ。やっぱり自分の思うイメージで作って少しずつ改良を加えていくやり方は時代に合わないのかなあ。
作りやすいものをまず作って人気が出たころ合いを見計らってフィードバックを参考に手直ししていく。そんなのが個人開発では現実的なのかな。
僕がプログラミングと考えているものはすなわちWindowsPC SoftWareですけれども、こういったものは長年進歩が乏しく需要が見られない産業だと思います。Vectorでランキングを見ても大してほしいと思うようなアプリケーションが見られません。マルチメディア系ですこしクリエイター向けのものが人気があったかなと思うくらいです。だから僕も少しかすったという感覚は味わえました。
Web記事にも書いてあるように、エンジニアと言ったらWeb系、スマホアプリ系、ゲーム系、業務システム系というのは僕も認識は同じで今のままでは自分のキャリアは方向性が難しいだろうと思っています。これらの分野が主な仕事分野になると考えてよさそうです。僕も独自にこのように考えていました。
ゲーム系を仕事としたくはないので残るは業務系ということになりますが、Web系もDelphiでは難しいのでスマホアプリを少しやるくらいにしかできそうにありません。
プログラミングを始めたころには、今思うとフリーウェアのカスタマイズを行っていく作業を希望していたと思います。要するにオープンソース系ですね。
そんな夢を持ちながら、将来の日本では万人が簡単な作業ツールをプログラミングするようになるべきと思っていました。Excelをマスターして資格とれば社会コストも低くなっていいってだけですかね。DelphiでGUIを作るというのは制約が大きすぎますしだめです。
他の方面でいうとボイスチェンジャーを自作してみたりしました。その過程でフーリエ変換や畳み込み演算とか加重平均フィルタかなにか。画像圧縮も初期のころ興味ありました。
そうですね。学術的な分野もやる気のあった初期にはかじっていました。
実力があれば社会モデルとかシミュれしょんですとかもあるんでしょうね。
とにかく私自身の需要がなくなってきています!!
いろいろ言わせていただくと言語が新しいものが次々に登場する時期がありましたが、一面的なとらえ方でいうとプログラミング言語が使いづらいから車輪の再発名であるにもかかわらず新たに作成されているのだという話であり勇気づけられる内容でもあります。
そういえばコンパイラについてもOS自作についても書籍を買って取り組みました。
当時は正しかったけれども今その情熱はない。オブジェクト指向は素晴らしくて開発速度を高めたと思う。
優秀な人物ならば中学生でも個性的な言語を開発できるぐらい開発手法は多方面で確立されてきているみたいです。
英語の学習をするにはbaobaoさん曰く身振り手振りのわかる教材を使えとのこと。
ジェイコブ氏がおすすめするのは使いそうな名詞を自分なりに説明してみること。辞書式の学習。
動詞形容詞を学ぶ時間と高度な名詞を学ぶ時間を分けていくべきなのかな。
都市化が起こると建築物が変わることで我々は人類の発展を連想するかもしれない。
しかし実のところ文明終焉の段階を一つ踏んだのとは違うだろうか。
お金はお金のあるところに集まるという。人も寂しがりで団子のように集まってくる。そして一度結びついたらしがらみは剝がすのに大変なエネルギーを要する。
なぜこれだけ暮らしやすくなっている日本でも都市化が起きているのだろう。たすけあいの社会は本当か。税収を分配還元できても人はそうはいかない。
行政サービスは集約的にやったほうがいいのだろうけれど、お年寄りがばらけて若者が群れているイメージがある。マッチングアプリのせいなのかもしれない。
転勤の事情はどうなっているだろうか。
世の中に数あるアプリの中に有用なものが一体いくつあるかというと驚くほどそれは少ないと考える人が大半だろう。
なぜ、役立つアプリが開発できないのか。どうして必要とされているのにその界隈に開発の波が押し寄せないのか。
それは現在進歩的なウェブ業界に答えを見出すことができるのではないか。
ブラウザとウェブサイトとデータサーバー、これらは分散しているだけに見えるかもしれないが、目には見えませんが対話をしています。
OSからの応答にこたえられる統合開発環境にDELPHIもなれば、それはきっと発展につながるでしょう。ユーザーの操作と対話しながら開発を進めていく。そういった開発手法が可能になればいいなと思います。ある意味イベント駆動の仕組みは私を含め多くの開発者を魅了しました。ネイティブ開発ならもっとOSとのやりとりに重点を置くべき。