意志薄弱で八方美人の私においては何になりたいというものもなく人生を過ごしていた。
ただ何となく大学へ行きたいなとか。そんな風にだけ思っていた。
割と最近になって若者はそういうものだと判明してきているが、それならば専門教育をいくらやっても彼らは旧来の大学システムに頭から突っ込んでいくだけだ。
ここでいう専門教育というのは学士レベルの教育のことではない。
専門課程というのは何らかの挫折の先にある。東大生がつまらない研究をだらだらと積み重ねるイメージがあるが、それも挫折を知らないからだろうと思う。
ほかに取るべき選択肢がない状態にならなければ人は楽なほうへ流れようとする。若者に限ってはそれは当てはまらないけれども、これができれば報酬がたくさんという状況で情熱が育まれるというのだろうか。
人生盛りを過ぎてわかることだが何かが得意でなる専門家も一定数いるが国家レベルの規模でいうと専門家というのは最初ほかに一芸を持たない人物の集合である。だから人を見極めて教えを乞うわけであり目移りせずに没頭できるのである。
私も今、学会活動は自分にできて何か心地いい時間になるよう活動を探している。
そうでもなければ誰もついてこない。己は引っ張っていくほどの人物でもない。
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