2024年11月9日土曜日

すてたもんじゃねえぞ

 人間というのは行き詰まることもあるのだけれども、実は仏教の教えなしでも素晴らしい生き方の出来る存在なのかもしれない。

蛇の道は蛇、賞賛なくば栄光なし

自分を高く売りたいときある人は何かが得意であることを美徳とし、それに卓越した技能を持っているといって自らを売り込むことでしょう。
それとは別に私は東京へ出ても東京で暮らす人を助ける人にしかなれず理想の暮らしにはたどり着かないという厭世観を若い頃から持っていました。
何の関係があるのかと思われたことでしょうけれど、今日見た映画の主人公がこんな感じのことを言いました。
比較して何かが出来るということはすごいことではない。その道でもっと活躍している人がいることを思い浮かべられるだろう。あなたの行動は自分では無くそのできる一握りの人たちの保護役に回っているだけである。勝負の世界よりも個性を認めて自分の人生を生きなければいけない。
賞賛なくば栄光なしといいますがこちらの言葉よりも深い話で、これまでの感覚が虚栄心に満ちていたのでは無いかと考えることになって今書いています。

禅僧の宿業は頭よいこと、なんじゃそれ

 昔、高校時代に禅天魔というのがどういう風に伝わったのか、禅宗の一族で受け継がれる宿業は頭がよいことだ、なんて聞いたことがありました。それ聞いてどこが欠点で何に苦しむんだろうと理解が出来ませんでしたが、無理矢理こじつけですが禅の家系に生まれてくる人はアスペルガーの障害を持っているんじゃないかと、無理矢理にも思い至りました。

ASDの人は学業で平均以上の成績を取る、けれども空気を読むのが苦手です、という話をYoutubeで聞きますね。ASDは知能指数が高いわけじゃなく初等範囲の教育には向いているのでしょう。その反面あまり独創的なことが得意ではない。

いや、僕の反省も込めてなんですけど、統合失調症の気質があるとかいわれる人にもありがちではありませんか。つまり高知能ではないのだけれども苦労せずに平均的な成績に達するため自分を高く評価してしまう修養の低い人が少なからずいて彼らが必死に学業ができない人から平均的な人までを低脳だとなじって功績を残せないまま余生に入るというケースが宿業だなと思うんです。それは当然でむしろ創造的な部分が苦手な人たちだから逆に露見したとき馬鹿にされるというか、人生経験積んだ人の中には見破ってしまうのもかなりいるかなと思います。

宿業でしたね。

怒りのパワーに関して

 人間という存在は無駄であろうか。

私が陰性症状というか鬱に入っていたときとても腹を立てた。それってもしかすると外からの刺激がない分を補って脳の機能を保護する目的で神経回路を興奮させていたのではないかな。

もし僕が善良なだけの人物だったら今頃とっくに廃人になっていたかもしれない。

生物の働きというのは何か意味があると捉えるグループもある。

2024年11月5日火曜日

エッセンシャルワーカーの悲嘆

 私は数字で見たことはありませんがエッセンシャルワーカーの賃金というのは低いといいますか平均と比べてそう高くないということはわかります。

なぜそうなっているかというとそれは従事者の少なさだと思います。労働人口も少なければ競合する会社も少ない。企業努力が前例の踏襲に注がれ利益率が上がらず賃金も必然的に少ない。関連する仕事場がすくないから労働者もつぶしが利かず、会社の側も離職率が低いのをよいことに安月給で働かせ続けている。

こういった状況は過去の計画や思いやりから来ているはずだ。公共性の高さから企業保護を掲げて行き過ぎた競争が起こらないように制度設計したんじゃなかろうか。

空想ですけどね。昔は儲かったんでしょうけどね。

2024年10月26日土曜日

論争の盲点

 日本が円安になると輸入品にお金がかかるという。けれども本当に問題なのは日本が必要な物資を海外勢に買い負けるということ。もっというと国産品を買いあさられて食料受給率が下がってしまうことになれば外国の余ったやすい、ひょっとしたらお金出す価値もない食料を輸入してどんどん国産品が輸出されるということになったらしんどい。しかも輸出は関税で止めることができない。輸入も最近は関税撤廃だけど。


2024年10月20日日曜日

企業批判に対して

 バナナのたたき売りがあるが、デフレの時こそ企業利益が上がるのではないか。

バナナは昔、高級品だった。パナマ病というバナナの感染症が蔓延したためにかつての品種は商業栽培されなくなってしまった。

その頃から品種の異なる安いバナナが海外から入ってくるようになり、それを露店で実演販売して多額の利益を得た、という話がある。

購買者の心理を考えたときミクロ経済学ではデフレに最高益を達成する会社が多くなるのではないか。