2025年11月16日日曜日

曲がったキュウリを作りたい農家はどれだけいるのだろうか。

 キュウリがまっすぐなことに文句を言いだした消費者がいるけれど、きゅうりがまっすぐな理由をご存じないのにそれ言い出すのはちょっとどうかしていませんか。

そんな理由私は聞いたことがありませんが、よく考えてみてください。農家が曲がったキュウリ量産してそれで喜んでいますか。きゅうり不足でもない限り生産を増やすよりもしかしたら高く売れて暮らしを楽にしてくれるかもしれないキュウリ作りますよね。

心ある人に渡れば自分の手間暇や真心を受け取ってもらえるのではないかという期待もあるでしょう。農業って儲からないんです。そういう人たちに十分な対価も払わないで、今度は曲がったキュウリばかりかまっすぐなキュウリにまで悪態をつくなんて信じられません。

スライスするのだってまっすぐなほうがいいじゃありませんか。

安くしてくれとか、ほかの商品も、なんていう人は生産者にも問屋にも相手されない時代がきてつんじゃわないかな。


生活が詰むとしたら特定の外国人居住者ではなくコミュニティを持たず災害や不幸に弱い孤立無援者、YouTubeなんか見ている弱者だと思うんだけれど、よりによってGoogleプラットフォームでそういう人物を多く見かける。

フェイスブックみたいに個人情報に紐づけるとかアカウントチェックするとか、フェイスブックも荒れているみたいだがGoogleも視聴者を一度にふるいにかける手段について検討し始めてみてはどうだろう。

正しくないことがたくさん紛れています

 一を聞いて十を知るって、かっこいいけれど

それって思いこみやすい人の特徴ですよね。

全体の一割しか確認せずに行動に移していたら会社としてどうなのっていう。


そんな常識結構ありそうですよね。

メーカーとショップ

 米国人はメーカーが系列店に商品を卸す。クレームはメーカーのチームが対応する。

日本人はコンビニができる前は個人商店で販売する。

商売というのは大抵のケースではお金をつかんでいるところが強い。瞬間的にでもお金を握っている側が強くなるから、個人商店は案外雇った人にやらせたり、メーカーに対しても居丈高に出る。

今は日本もチェーン店がいっぱいになったけれど人にやらせる文化、押し付けの構図が壊れない限り武家社会のような表と裏、敵と味方を区別する経営が続くのではないかな。

日本の働き方についてちょっと思いますが

 日本のおもてなしができるひとが個別に存在します。

仕事ができる人です。

世界でも評価が高いといいますがその評価している人っていうのは専門的知識を持たない一般人で、つまり評判を呼んでいるということだったとしたら。

もしもこれが効果がないとしたらどうでしょう。日本移住してきた外国人社会が行き場がなくてグループを作り、自分たちの緩い管理で経済を回し始める。

日本のおもてなしが無駄と判断される日が来たら、私たち日本人に勝ち目はない。

出稼ぎ労働者もしっかり働いて日本人よりも収入が多いかもしれない。

そういう日が来なければ個々の議論が無駄ということで。

2025年11月12日水曜日

自信 不安 緊張

自信がないまま行動することは却って自らの不安を増幅させる。

心の鏡

相手の自信について見ていくとこちらも自信に溢れてくる。
相手の美貌について見ていると自分も段々垢抜けてくる。

2025年11月8日土曜日